2020年3月18日水曜日

【測量・探検・残置物の撤去】霧穴(2020.2.29)


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活動内容:探検、一部再測量、BC残置物の撤去、竪穴昇降技術の向上
日程:2020/2/29
入洞洞窟:霧穴
場所:三重県度会郡大紀町
天候:快晴
参加者:あゆみさん 近野さん 岡さん お母さん
使用車両:あゆみカー 近野カー 
会計:なし
グルメ:大量の土佐文旦お持ち帰りあり
記録:お母さん&近野さん
電波:  昔にくらべて洞口で入りやすくなったらしい
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小春日和。
植林地帯山中を歩くこの集団は、熊鈴を高らかに鳴り響かせているせいだろうか
どこか牧歌的な趣きである。

     ***

まだケイビングを始めて間もない、入隊前の頃。
洞窟探検家・吉田勝次氏の存在を知り、著書「洞窟ばか」を取り寄せた。
JETのホームグラウンドである「霧穴」について
渉外と出会い
未踏洞窟探検の興奮と奮闘
測量
ベースキャンプ地造り
洞内泊
などなど躍動的な活動の歴史が赤裸々に描かれていて、臨場感に引き込まれた。

早く先の展開が知りたくてワクワクしながら一気読みしたものだ。
今そのストーリーの延長線上を、自分も歩いているのだと考えると
…なんだか信じられない感じがする。

前日編

滋賀県に山狩り(=洞窟探し)にいくことになった。

先輩たちはGoogle earthで上空から見ていて「ここは何かあるんじゃないかと思うんですよね」って、アンテナにかかるらしい。

さぁ行きましょうか~ って段階で微妙に雪がちらつき始めた
気にしないことにしようと*自分にいい聞かせた。


*ここへ来る前、ガチ雪山の樹々の間を、副隊長がスキーで颯爽と滑って山狩りしてる動画を見てきてしまった、その所以である。


発起人の亜裕美さん「ここ藪深いんですよね~」って普通の世間話みたいにして、3mくらいある藪を漕いで入っていく。

南側、北側と手分けして見回り。
午後。某所で5つくらい人工洞を見つけた。


おぉぉ!!めっちゃあるやんか と意気揚々としていたら、
約束の帰着時刻を過ぎてしまって小走りで戻る。
帰りがけも、穴を見つけてしまってキリがない。
最終、怪しい水路を地図で見つけて、そこだけ通って確認しようと藪をかきわけた。
そうしたらば、そこは沼地帯。
膝まで静々沈み込み、亜裕美さんにテレフォンすべきかスマホ画面を見つめる。

最近、廃坑探検の活動が続き、人工洞の無機質な魅力に目覚めていた経緯あり。
何はともあれ充足感に包まれていたのであった。

さてこの人工洞、JET本部へ写真で報告。
地域に詳しいMASA先輩の見立てによると
「この近辺は、第二次世界大戦前は陸軍の弾薬庫他の施設があったりしたはずなので、その関係かもしれない」との事であった。

山狩り終了後。せっかくだからと関ヶ原鍾乳洞(観光洞)へ立ち寄った。
夜は車中泊で済ますつもりが、亜裕美さんのご厚意により一宿一飯のお世話になってしまった。
感謝しています。


初めての「霧穴」

沢山の小鳥たちが騒めきたっていた。
「もう。何をそんなにさわぐ事があるんだよ。うるさいなぁ。」と、近野さん。
ハーネス装着を済ませてのんびりと仰向けになっている。

その横で、岡さんが黙々とリギングを進め、次第に竪穴洞口から地中へと見えなくなっていった。

数十分ほどなくして。
1テラス待避所に、岡さんが到着したらしい旨が地上に届く。
2番手・近野さんが、霧穴初デビューの私に手順を説明しながら徐々に降りていく。

樹木に巻き付けられたスタート箇所のロープは、
岩にあたる所がこすれてダメージが及ばないようにPVC素材の70cm程の専用プロテクターに包まれる格好で設置されていた。

このマジックテープを少しずつべリベリと解除しつつ、ロープを裸にしながら下降器で通過する。
通り過ぎたロープ箇所を、再びプロテクターで包んでいって、元あった状態に戻す作業をしつつ下降していく。

穴の中へ6mほど下降すると、第1テラスにいる岡さんがみえてきた。

「ここは落石しやすいので気を付けて」

そう耳に入る最中、右足の下に拳サイズの石が浮いている。
壁にかけたこの足を除けるとマズい状況に。早速ピンチ到来か…!?

と言うのも、いまは近野さんが先頭にまわり、続きのリギング中。
つまりこの穴の先にいるはずなのだ。
なんとかこいつを投下させてしまわないように、ハンドパワーならぬフットパワー全霊で念じる。
(しばし静止)
…これ落とすくらいなら、今日はココに泊まりこみで押さえるわ…なんて、どちらにせよ迷惑なのですけれど。
冗談抜きでそう考えていたら、不思議と石がぴたりと収まった。

『~あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』(マタイ64
Amen!


そうこうして横奥行き2m弱に延びたテラスへ、行き着いた。
無事です。
順次、トラバース、下降、リビレイ通過・・50mほど?ボトム到着。
斜道になっている。
その奥で近野さんが待っててくれていた。
落石の危険のないこちらまで来るようにとのこと。

ここで「吉田さんが迷った‟勝迷支道“はこっち(上層部の穴)だよ。
グアノがいっぱいあるみたいだよ。」と教えていただいた。

岡&近野選手ペアは、我々とは別のルートを測量するという事で、ここからは別行動となる。                             

                               (記録:お母さん)
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測量隊(岡&近野)

霧穴はほとんど測量は完了しているが、後から探検して見つけた支洞など、やり残しがチラホラと出てくる。

今回の測量ポイントは、以前一度測量したけど、データを失くしてしまったベースキャンプ裏の滝の上の測量。
みなさま、何度も言いますが、測量データのバックアップは重要です。

実は、そもそもこの日は、石井さんの竪穴訓練に同行するだけで、ピクニック気分だった。
測量せなあかんのは知っていたけど、言わなければ誰も気づかぬだろうと、静かにしていたのだ。
しかし、天はそんな私のセコい考えにお気づきで、測量Gメンの手入れが入り、まんまと測量実施の運びとなりました。

入洞後は、測量Gメンと二人で、まっすぐに目的地のベースキャンプ裏へ移動。
霧穴は全体的に、石灰岩と非石灰岩の間に発達している洞窟で、地面がグズグズの黒い非石灰岩になっている場所がしばしば見られる。
この支洞の入り口になっている滝も、表面が特に脆い岩石の層で、登りきると石灰岩の層が出てくるのだが、その途中は、何回登っても表面がボロボロと崩れ落ちるのでヒヤヒヤする。この上を測量していない理由がよくわかる。
滝は10mほどの高さで、前回設置したロープを使って、SRTで登る。
残置ロープを登るのはいつも緊張するが、そんなに前の残置ではないので、まぁたぶん大丈夫。

支洞は2方向に分かれており、グズグズの滝を登ってすぐ右手は、天井の低い水流を15m?進むルート。滝を流れる水はここから出てくるので、行き先が気になるが、最後は天井が低くなっておしまい。水が出てくる場所は、ルートの終点とはまた別だったような。(記憶薄)
正面は、乾いたフローストーンでおおわれた段差5mを登り、トレンチ形状を25m進んだところで狭くなりおしまい。トレンチ形状が、崩落した岩や流れてきた砂礫で、ところどころ狭くなり、ルートを形成している。

一回は測量したので、今回は、そのときのポイントをなぞる形で進められる。
測量作業でポイントを決めるのも難しいので、すでにポイントがあると気が楽だ。

右ルートは濡れるので、先に乾燥した正面ルートを測量することにした。
前回測量したときは、なぜかすごくやる気がなくて、奥のほうは途中でウヤムヤにしてしまったので、今回はしつこく念入りにやった。
おかげで、正面ルートだけで時間切れとなり、右側のルートは次回に持ち越しとなった。

最近入隊した新人が多いので、また霧穴を再訪する機会はありそうだから、深追いせずに時間通りで終了。

しかし、最近、測量に追われて、ケイビングが楽しめない気がするが、測量もそれなりに楽しいし、でも、測量ばっかりだとデータが溜まって辛い。
週末に活動して、平日は仕事、活動がない週末も仕事となると、製図する時間(気力?)がなかなか作れない。
1カ月ほど、有給休暇をいただき、南の島で製図と報告書作成だけして暮らせばいいか。うち半月は、プライム動画でGOTマラソンをして潰れる見こみ。

                               (記録:近野さん)
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(以下記録:お母さん)

JET1ベースキャンプ

ここから先は、亜裕美さんと行動。
次第に頭上の岩が真っ直ぐ、水平天井になる。
この天井、普通にすごくないです? まるで人口の部屋みたいだと思った。

さらに進むと、巨大なブルーシートが吊るされているのが目に飛び込んできた。
アルミ大鍋や錆びたアウトドア用ガス缶、スコップなどの工具が転がっている。
本日の任務は、ここの撤収作業をするという。
なんだかちょっと寂しい。

天井に張られたロープにかかってるタオル達を片付けようと、少し引っ張っただけでティッシュの様に軽くに裂けた。

2人の荷物をバック1つ分にまとめ、空のバックを持ってきていたので
詰めれるだけの物は押し込んだ。
ブルーシートや、大鍋はかなりデカくて我々では今回運び出しは無理だった。
「先人たちはよくここまで運び込んだものだなぁ」と感心する。
ざばぁっ と滴下水をすてて端へ寄せておく。

備考:次回はガムテープ、縛る用の紐、最大容量のバックが必要。

ブルーシートの下からいくつものサンダルも出てきて、
帰りは背負いバック(通称ポルタージュ)が4つになった。

      ***

キャンプ地の端は2.5m程の崖になっていた。
お助けロープが設置され、降りてゆくと見上げるほど天井の高いホールへと出た。

地底奥深くへ傾斜し、広い空間が続いているのが眺められる。
奥底までは距離、高低差、水の流れもあり。
ここは個人的なお気に入り洞窟である宇山洞に似ている、と想いを馳せた。

通常なら天井に向かって縦に生成するはずの石筍たちが、
半分あたりから折れ曲がって、床に平行する形に伸び生成していた。
L字を右半回転させたような恰好。物理的に無理ですよね?)
一体どうしたら、こんなふうに出来るんだろうか。

ホールの一番下までくだり、右通路へ入る。(稲妻ルート?)
水だまりのある狭い通路が続き、
竪穴装備の入った重たいバックを押しつ引きつしながら進む。  
(ここキツめ。)

通り抜け、巻き尺ピット到着。
残置ロープが束ねておいてある。

「持ってきたロープが足りないかもしれないんです。
でも、さっきのタオルの劣化を見てたら、この残置ロープ使うのこわいですよね」

そして、まだロープが足りない方がマシですねという判断になる。
亜裕美さんがリギングに取りかかってくれる。

背後、蛇行した棚が奥へと続く天井高の低い空間に、ストローが沢山できていた。
奥まったところの生成物は、人も微風も触れないからか、ミルクアイスの様に真っ白。すてきだった。

結局、ロープは手持ちの分で足りたようでボトムまで降りることが出来た。

「最奥はもうすぐなんですが、時間切れですね。ゆっくり、急ぎましょう!」
そういう訳で、すぐ登り返しとなった。

      ***

バッグを12個担ぎ、斜道をおっちら登っていく。

途中、測量チームとバッタリ合流。
身動きすら取りにくい狭い通路内で、重量のあるバックを下の人から受け取り、上の人へと届くように持ち上げ、運びだす。
じわじわ進む。これが地味にきつい作業なのであった。
しかし連帯作業はチーム団結感が感じられて良いな と。そんなことを思った。

入り口竪部、最後のロープ登り返し。
順番 ①近野さん ②亜裕美さん ③自分 ④岡さん

皆の者が、ハーネスを装着し身支度を整える中。
壁にもたれ、リラックスした様子でポテチ袋を開封しだす岡さん。
本人「やる気みなぎってるよ」との主張、自然体のペースが笑いを誘う。

*1人につき昇り30分ほど要するので、ラストの人は長い待機を過ごすことになる。
今回の自分のように、初めての人がいると。余計に。

ロープを昇っていく。
外の世界が見えてきた。あぁ娑婆の空気が甘い。

近野さんがカメラを構えてくれていて、記念撮影をしてくれた。
翌日送られてきた写真は、瀕死寸前の微笑みであった。合掌。


「霧穴」との歩み

「霧穴って、狭くて疲れるんだよね」

日本で1番好きな洞窟は何処ですか? なんて尋ねてみる。

「霧穴かなぁ。わたしはここで、狭いところで荷物を運ぶこととか、測量もそうだし、いろんなことを身に付けてきた」

JETの大切な原点に触れ、感慨深さを味わった活動となったのでありました。




2020年3月8日日曜日

【探検、学習】小堀谷鍾乳洞、根堅鍾乳洞(2020/02/01)

活動内容:小堀谷鍾乳洞、根堅鍾乳洞、その他
場所:静岡県浜松市
日程:2月1日(日)
参加者:稲垣さん(洞窟仙人)、たたみんさん、マサさん、中西さん、ゆーかちゃん、おざわ
使用車両:稲垣カー・たたみんかー・中西カー・おざわカー
会計:なし
グルメ:浜松餃子
電波: 洞窟内でも電波アリだったような気がする。
注意点: 特になし


はじめまして、おざわと申します。
JETでの初めてのブログとなります。
あまり専門的なことは書けませんが
よろしくお願いします。

=========以下日記本編==========

JETの正式な入隊は覚えていないが、
1年、いや、半年も経っていない頃、

マサさんから

「中国の水墨画みたいな山に住んでいる風(ふう)の
 洞窟仙人と今度洞窟行くんだけど、
 良かったらおざわ君も来ない?」

とのお誘いがあった。

中国の水墨画みたいな山に住んでいる風(ふう)の洞窟仙人!?

こんな情報量の多いパンチある一文は久しぶりだ。
どこからツッコんでいいのか分からないくらいに
いろいろな情報が詰め込まれすぎている。

もちろん返事は

「YES」

いち探検家として、
いや...ひとりの人間として、
この洞窟仙人に会わないという選択肢を選ぶにはまだ若すぎる。

むしろこの日は「洞窟に行く」というよりも、
「洞窟仙人に会いに行った」と記載した方が、
当時の自分の感情的に正しい気がする。

それだけ僕の中での「洞窟仙人」というワードは
強力なものだったのだ。


もとより、吉田勝次隊長に憧れてこのJETに入隊したのに、
このチームには隊長をしのぐ「仙人」がいるなんて。

この期待値はとてもじゃないが計り知れない。
探索当日の僕は、夏休みを目前に控えた小学生男子のような気持ちで
浜松に乗り込むのであった。


【2020/02/01明朝】

僕は神奈川からマイカーで
浜松に行く予定だったのだが、
急遽マサさんから、

「もう一人関東からJETの女の子(ゆーかちゃん)も
 浜松の洞窟探索に参加したいとのことだから、
 一緒に乗せてきてもらっていい?」

と、ちょっとしたおつかいを頼まれた。

ゆーかちゃんとは初対面。
初対面の女の子を乗せて神奈川から浜松までの3時間ドライブとは...


これはあれだ。

「話題が尽きないように
 あれこれいろいろ話題を提供しなければ!」

といった万策を講じるつもりだった。


ただゆーかちゃんは予想に反し、
僕の車に乗るとすぐに爆睡した。

かなり早い段階でまぶたを閉じたまま、
目的地に着くまで二度と起きることはなかった。

どんなにスピードを出そうが、
車体がぐらぐら揺れようが、
僕がトイレ休憩に行こうが、
まったく起きる気配はない。

寝息は聞こえるので生存はかろうじで確認できたのだが、
とにかく、探検家としての貫禄はもう横綱クラスであった。


【2020/02/01 9:00】

静岡県浜松市にある根堅遺跡の駐車場に全員が集合。

僕らだけ30分遅刻。

ゆーかちゃんは目的地についても
一向に起きる気配はなく、たたみんさんに

「おみゃあいつまで寝とるんじゃ」とたたき起こされ、
そこで本日初めて太陽を目の当たりにした。


======以下人物紹介(探索とは関係ないので興味ない方はスルーしてね)======

集合場所で初めて洞窟仙人の稲垣さんと会う。
話を聞くと初めて洞窟に入ったのは中学2年生、
洞窟歴は圧巻40年の匠。

風貌はというと、
これほどまでに「仙人」という言葉がピッタリな方に、
僕は今まで会ったことがない。

それほど、「仙人」という言葉が似あう方であった。

なんでも、以前は水中でう○こをして、
それが拡散しないように上手に水中で回収するというトレーニングを
ぼにゃさんという方と一緒に行っていたらしい。

世の中はまだまだ知らないことだらけだと痛感させられた。


そして、その横にいたのがたたみんさん。
たたみんさんともこの日初対面であったのではじめまして。


たたみんさんのJET歴も折り紙付きで、
数々の修羅場を潜り抜けっているのが即座に分かった。

そして、話を聞いているうちに
外見はとてもおだやかそうに見えて、
かなり武闘派であることも分かった。
   ・・・

とにかく、頭からお尻まで話す会話すべてが面白い方であった。


そして、今回の探索の企画者であるマサさん。

すごく常識人。

話もとても分かりやすく、
個々の個性が強すぎると予想されるJETには
必要不可欠な人材であるに違いないことであろう。

いかに洞窟に理解のない奥さんを説得しながら
活動するにはどうすればいいかについての秘訣を
いろいろと教えてくれた。

いろいろと苦労されているようだ。


そして、これまたはじめましての中西さん。

僕と年齢も近く、
ほぼ同じタイミングで入隊したので
勝手に同期だと思っている。

すごくひょんなことから
JETに入隊したエピソードを持っていて、
吉田さん家と家がかなり近いらしい。

おニューのケイビングスーツが羨ましかった。


そして先ほどまったく起きなかったゆーかちゃん。

某大学の探検部の女の子。
一度寝たら何が起ころうとも起きない。


前日、猛吹雪の雪山にいたらしく、
帰宅した直後、家にも帰らずその足で僕の車に乗り込んだから、
という理由で眠たかったらしい。

「若い」ってすばらしいなって思った。

JETに入隊するために、
いきなり吉田隊長にDMを送って今に至るらしい。


======以上人物紹介======


さて、このメンバーで最初に向かったのが

小堀谷鍾乳洞





歩道もしっかり整備されているため
着替えるまでもないと踏んだたたみんさんは
私服に長靴という田植えスタイルで洞窟に入っていった。

 中はこんな感じ
 ↓  ↓  ↓




ここで洞窟仙人の稲垣さんが

・洞窟の起こり、成り立ち
・洞窟を形成する成分
・洞窟の生物たち
・なぜ中の温度は一定なのか

などなど、
丁寧に教えてくれた。

マサさんはこれを
「稲垣塾」と呼んでいたが、
確かにそうだ。

とてもタメになる洞窟の話を
一切の金にもならないのに
こうして僕たちに教えてくれるのだ。

JETすげえ!本当すげえ!
活動だけでなく、知識も伴っている。
このチームは、大いに成長できるぞ!
いろいろ吸収しよう!

僕はそう、確信した。

ところどころでたたみんさんが
誰が聞いても分かる嘘を交えての
「稲垣塾」は、最高のまま終了。

と同時に、

「稲垣さん、すごいな...
 この人はいったい何者なんだ
 (知識が凄すぎて)」

という疑問も肥大化していった。


稲垣塾の様子を捉えた貴重な写真
 ↓  ↓  ↓  ↓



その次に向かったのが、
名前を忘れてしまったが、
とても面白い洞窟でした。

この洞窟で、すごく狭い道があったので、
頑張って通過した時の動画です。
↓  ↓  ↓


閉所恐怖症を患っている僕にとって、
こういう細い通路はPTSDを発症しかねません。

ただ、ゆーかちゃんと中西さんはスルスルと簡単に進んでいました。

どうやらこのような細道は、
体つきも大きく影響するようです。

稲垣さん曰く、

「ここの通路は、
 技術よりも精神の強さの方が大事」とのこと。

また、

「最上級に狭い道を10とすると、
 今回の通路の狭さは6~7くらい」

とも言っていた。

この言葉には内心ホッとしたものである。

「こんな道、1だよ1。
 狭いと思うこと自体間違ってる」

こんな風に言われたら、
引退の2文字が脳裏をよぎったことであろう。

そうか、この通路は狭かったんだ!
やっぱりそうなんだ。仙人が言うんだから間違いない!
ということで、とにもかくにも僕は大きく安心したのだった。

ちょろいものである。


ただ、ドラクエなどで
洞窟で闘う描写などがあるが、ありゃ無理だよね。
こんな細道では闘えるわけがない。

体がつまっているところを
スライムにボコされておしまいだ。

あれはあくまでファンタジー。
勇者も一度是非、体を詰まらせてほしい。


無事(?)狭い道の新人研修を終えた僕たちは、
稲垣さんお墨付きの浜松餃子のお店でお昼を食べた。


昼食は2組に分かれ、
僕のテーブルには

・たたみんさん
・稲垣さん

が座った。

今日会ったばかりの僕でもわかる。
この2人のキャラは濃い。とにかく濃い。

食の細い人だったら間違いなく吐いてるだろう。
そのくらい濃い。

そんな二人と食べたラーメンと浜松餃子は、
すごくおいしかったし、話してくれる内容がすべて面白くて、
いい意味で話しているのがしんどかったほどだ。

JETが起こしてきた珍ハプニングや
洞窟での危なっかしい話、
たたみんさんの隠しきれない武闘派色の濃い話など
とにかく最高だった。

そんな感じでおなか一杯になったところで、
新たな洞窟へ足を運びます。


名前は伏せます。



すごく特徴的な岩のキッチン戸棚がありました。

ここでも稲垣さんのセミナーが開催され、
洞窟や地底湖のあれやこれやを学びます。


稲垣さんはここを
潜水で先に進んだことがあるとのこと。

仙人の話す洞窟の豆知識は
合コンではウケないかもしれないが、
探検家のソウルを持った僕たちには
とても響いた。


片耳にイヤホンを指して説明を聞く
観光鍾乳洞のリアルボイスVerを想像してみてほしい。
稲垣塾とは、なんとも贅沢なものである。


ただ、たたみんさんかマサさんか
どっちが言ったのか忘れたが、

稲垣さんが新しくJETに入った方に
いろいろ洞窟について説明したいから
少しだけ時間をちょうだいと言って、

そのまま4時間も洞窟から出てこなかったらしく
吉田さんが「なげえ」とブチ切れた逸話があるとのこと。

4時間...凄すぎる。
さぞ濃密なセミナーであったに違いない。


この洞窟を最後にたたみんさんは
「カーリング(?)があるから」と言って
帰っていきました。


たたみんさんが帰った後、
僕たちが最後に向かった洞窟が、
根堅鍾乳洞。

入り口がこれです。
↓  ↓  ↓


立っているのがマサさん。
お尻がボロボロなのは男の勲章のようだ。


実はこの洞窟でちょっとした事件が起きました。

僕はこの洞窟に

・GoPro
・8,000lmの懐中電灯
・ハウジングで包んだカメラ

の豪華3点セットを持ち込んだのだが、
とにかくこれが邪魔で仕方がなかった。

基本的に洞窟内では
いかに身軽になるか。

これがかなり重要らしく、
この3つのバリューセットは
今回の洞窟活動の大きな弊害になった。

本当に邪魔で、何度も粉々に砕いてやりたくなったが、
そこをぐっとこらえて頑張って持ち運んだ。

というオチのない事件でした。


最後はみんなで記念撮影を撮っておわり。

なぜたたみんさんがいるうちに
集合写真を撮らなかったのかは疑問であるが、

僕たちの心にはしっかりとたたみんさんの存在が
深く刻まれているので、ノープロブレム。


根堅鍾乳洞から出終わった後、

稲垣さんに
「僕が持っていた3種の神器が
 いかに邪魔だったか」を
話していると、

こう答えが帰ってきた。


「君はまだ地上の動きをしているね」

ということらしい。

つまり、持ち物が邪魔だうんぬんかんぬんなんて
言い訳でしかなく、今はもっとがむしゃらに経験を詰め

ということを言われたんだと解釈した。

こうして無事、誰も息絶えることなく
浜松の豪華洞窟4点盛りは大盛況の元
終わりを迎えることとなった。


帰り道も行きと同じく
ゆーかちゃんは早々に目を閉じ、

そこから関東に帰るまで
二度と目覚めることはありませんでした。

おしまい。